特集

ぐるなび

東京都内の“おいしい”探訪記

2017.1.18

「自分の舌を信じて、自分の好きなものを提供してきました」

翏 店主 村田 翏

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果たして鰻店といっていいのだろうか。蒲焼きの香ばしい香りがなければ、隠れ家のようなバーの扉を開けてしまったと思うだろう。『ミシュランガイド東京2017』で新しく一つ星に輝いた「翏(りょう)」は、従来の鰻店のイメージを覆す、ユニークかつ特別な店なのだ。

店は、決して広いわけではないが、中央を大きなカウンターが占めている。詰めて座れば12席は入れそうなのに、わずか9席が並ぶだけだ。見知らぬ客と並んでも、隣の会話が気になることはない。

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名のある鰻店にいる男女2人組は、間違いなく親密な関係だと思ってしまう。チェーン店ならいざ知らず、老舗では注文してから鰻をさばくことが珍しくなく、何かをつまみながら待たなければならない。退屈せずに過ごせる相手でないと間が持たない。しかも締めのごはんを食べて店を出る頃には、すっかり共犯者として鰻の匂いが染みついてしまっている。焼肉店にいる男女以上に怪しいのだ。もし、それほど興味のない異性から、2人で鰻を食べに行くことを提案されたとしたら、断らなければ面倒なことになる可能性がある。

ところが翏ならば、初めてのデートでも、クライアントの接待でも問題ないだろう。コースメニューしかなく、席につけば、それぞれの料理に合わせて、さまざまな日本酒が次々と登場する。BGMもアコースティックな米国音楽が中心。ここまでモダンな鰻店というのが、これまでに存在しただろうか。

好きなものに囲まれた店にしたかった

中目黒から歩いて10分近く。初めて来たなら迷うのは確実だ。店の看板はあまりにも謙虚で、見落としたとしても仕方ない。しかもパンチングメタルの外階段を上った2階が店のようだ。中目黒によくある隠れ家的な店には違いないが、鰻店という常識をはるかに超えている。

思い切ってドアを開ければ、若い店主に笑顔で迎えられる。料理人というよりは、ミュージシャンのような風貌にとまどう。入口にはインド楽器のシタールが置かれ、店内にもアコースティックギターやエレキベース、またベースアンプのヘッドがインテリアになっている。

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「自分の好きなものに囲まれた店にしたかった」と店主の村田翏さんは説明する。まるでクリエイターが、飲食好きが高じて作った店のように見えるが、実際は違う。

村田さんは「つきじ宮川本廛」で13年修業した経験を持つ、れっきとした鰻料理の職人。鰻と燗酒が合うことを知ってもらおうと、2013年2月に独立して開いた店なのだ。

細かい温度設定には意味がある

カウンターに置かれたメニューに目を落とせば、左側は「鰤の酒粕煮」に始まり、造り、鰻酒焼き、天ぷら、鰻の副産物、お椀、鰻丼と7品が並んでいる。その右側には日本酒の銘柄と温度が書いてある。

例えば最初の料理には、「醍醐のしずく こしひかり2016とAUGUST BEER LAGER ブレンド42℃」といった具合だ。まるで化学実験のように、細かい設定に驚く。およそ40℃ではダメなのだろうか。

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「いろいろ試した結果です。1℃違うだけで味わいは全然違ってきます」と村田さんは解説する。いまでは珍しいお湯を張って燗をする器具を使っており、ゆっくりと温度を上げるのが大切だという。当然、温度計で酒がどこまで温まったかを正確に測定している。

客の手元に運ばれる頃には、42℃より冷えてしまうが、いったんどこまで温めるかで味が決まるので問題はないとのこと。キレのいい酸味があるビールを20%ブレンドして、微発泡のにごり酒のようなものを作り出す。

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酒粕でうま味を増したブリと合わせると、さらに味が膨らむ。柔らかな酸味が、ブリ本来の持つ甘みを引き出し、さらに口の中での余韻を長くする。血合いの部分の生臭さが完全に消えて、チョコレートのような濃厚さに変化する。

最初は、本当に意味があるのだろうか…と疑いたくなった酒への表記が、完全に説得力を持つ瞬間だ。次はどういう組み合わせになるのかと、わくわくしてしまう。

極上のひとときは8回まで

造りに続いて、目の前に並べられたのは鰻の焼き物(写真下)。一口で食べられるように細かく切り分けられている。メニューによれば「酒焼き」とある。普通の鰻店では、白焼きに相当するものだ。

しかし、実際の焼き上がりは、まるでタレに付けたかのように、美しい焼き色がついている。実際には25分間蒸した鰻を、酒をふりながら、しっかりと焼く。ここにも村田さんのこだわりがあった。

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「べたついた白焼きが好きじゃないのです。外側がぱりっとして、中がふんわりと仕上がるようにしました」と胸を張る。確かにいざ食べてみれば、最初に香ばしさが口のなか一杯に広がり、やがてジューシーな身のうま味が追いかけるように溢れ出す。いつまでも食べていたいのに、すっと消えてなくなる。

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目の前にある矩形の8切れは、「十旭日 佐香錦2011 41℃」と交互に口に運んでいるうちに、あっという間に終わってしまう。これは罪な食べ物だ。断続する夢は8話までしかない。まだ残っている燗酒で余韻に浸っても、別れた好きな人を思い出しているようで寂しい。

この十旭日は精米歩合55%の純米吟醸酒で、鼻に抜くとミントのような香りがして、わさびとの相性が抜群だ。とても良く練られた組み合わせである。さらに米の味わいがしっかり残っている。このため鰻の焼き物だけを食べても、まるで丼を味わっているような満足感があるのだ。

しかもしつこいようだが、いつまでも一緒にいたいのに去って行ってしまう。これでまだコースの前半だから恐れ入る。

酒の繊細な香りをたとえると…

いったん、鰻を忘れてくれとばかりに天ぷらが登場。確かに先ほどの興奮をリセットするためには、それぐらい食べごたえのあるものが必要だろう。

そして現れたのが鰻の副産物のトリオだ。ヒレ巻き、肝焼き、骨せんべいである(写真下)。

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合わせる燗酒は「山陰東郷 山田錦2008、24℃」先ほどより、さらにぬるく、味の輪郭が鮮明だ。少し舌にぴりっとする刺激があり、それぞれの味わいを引き立てる。

燗酒を口に含んで、はてと手が止まる。知っているはずなのに思い出せない淡い香り。必死で思い出そうとしていると、見かねたように村田さんが助け舟を出した。

「子どものときに吸ったツツジの花みたいではないですか」。

まさに。公園でツツジの花を見つけると、摘んでは裏側の付け根の部分を吸って、かすかな甘みを楽しんだものだ。その経験者なら分かるはずだ。あの少し青みがかった香りがする。

ヒレ巻きは香ばしく中から美味しい脂が溢れ出し、肝焼きはほとんど苦みがなくやわらかな甘みに満ちている。ここにハーブのような香りがする、ぬるめの燗酒を合わせると、山椒をふったような相性の良さがある。いや、もっと繊細で上品な取り合わせだ。

特筆に値するのは骨せんべい。きれいに掃除して、湯がいて、灰汁抜きをしているからこそ、まったく臭みのないものに仕上がっている。これだけを肴に何杯でも飲めそうな気持ちになってしまう。

あえて外側だけかために仕上げたごはん

白子豆腐のお椀を平らげると、いよいよ鰻丼(写真下)である。すでにかなりの量の食事と酒を詰め込んでいるはずだが、カウンターの前の炭火で焼かれている鰻を見ると、食欲がわいてくる。

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ペアリングの締めくくりとなる日本酒は「花巴 雄町2011と辨天娘(べんてんむすめ) 鳥姫2015のブレンド43℃」と、最後まで化学実験のような設定が続く。もはや、それが当たり前のように思えてくる。店主の考える最高の状態の燗酒を、うやうやしく口に運ぶことになる。

花巴は寝かせた酒のため、米と合わせるには強く感じるかもしれない。そこで辨天娘とブレンドするところで双方の良い部分を引き出すようにしているのだという。コースの中では一番の辛口だが、すっと入るものの余韻がある。

鰻丼はごはんの炊き方が絶妙だ。まるで鰻の焼き物のように、外側が少しかためで、中が柔らかいのだ。鰻とごはんの組み合わせでは、まるで飲み物のように、かきこんで食べてしまいがちだが、ここまでしっかりとした歯ごたえのある白飯だと、ゆっくりと食べたくなる。

辛口の燗酒は、口の中で甘みを増していく鰻と飯のハーモニーに、さらに奥行きを与えることに成功している。

前味と余韻のどちらを重視すべきか

村田さんの解説で良く登場した言葉に「前味」がある。口に含んだ瞬間の味わいのことで、これに相対するのが「余韻」だ。最近の風潮は「前味」重視かもしれない。人との出会いならば第一印象、出し物で言えばつかみだ。

しかし、本当に大切なのは余韻だ。第一印象が良くても、もう二度と会いたくない人はいるだろう。つかみが面白くても、最後には眠気に誘われることもある。

余韻を重視するのは料理人にとって冒険かもしれない。すぐに結果を求める時代背景とは逆行しており、店としての評価が定まるまで時間がかかるからだ。

翏の日本酒とのペアリングコースの良さは、すべて余韻に集約されている。開店から4年近く。ようやくミシュランガイドで星を獲得した「翏」は、ほかにはないスタイルだけに理解されるまで紆余曲折があった。これからが余韻なのだ。

燗酒で上気しながらの帰り道。駅に近づいても美味しさの記憶が尾を引いていた。

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撮影・取材/寺尾 豊(フリーライター、映像作家)

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取材した施設

  • レストランうなぎ

    東京都目黒区東山 1-9-11 2F

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