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ぐるなび

東京都内の“おいしい”探訪記

2017.6.28

「スパイスとはつまり漢方薬なのです。当店ではたくさんのスパイスを使いますし、ほとんどのスパイスをパウダーではなくホールで使っています。それはやっぱり食べる人に元気になってもらいたいからですね」

オーナーシェフ 小美濃清氏

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「国民の健康を維持するために料理人はあるべし」 いつか調理師読本で読んだというその教えを、ご主人は今も頑なに守り続けている

「もっと美味しくて、健康に良いものをお客様に」。そんなコンセプトの元、1982年、欧風カレー&シチュー専門店「トマト」は東京杉並区・荻窪の地に誕生した。そこから35年間、創業当時のコンセプトは、ひとときも揺らぐことなく堅固に守られている。

食事を通して人の心に触れる。そんな経験をしたことがあるだろうか。とびきり美味しいだけではない、心も体も元気になれる、そんなカレーを35年間作り続けてきた。ここ「トマト」が”名店”と呼ばれ、『ミシュランガイド東京 2017』でビブグルマンとして掲載されるに至ったのは、夫婦二人三脚で、あくまでも実直に、自分たちの想いに忠実に重ねてきた日々の結果なのだ。

行列必至。だがひとたび入店したらそこには心地よく、穏やかな時間が流れている

荻窪駅、南出口を出て「南口仲通り商店街」を進む。2分ほど歩いたところで街灯の脇にある小さな看板の矢印が「トマト」へと誘ってくれる。角を曲がるとすぐに店を見つけることができる。なぜならそこには多くの場合、長い行列ができているからだ。雨の日も、暑い日も、人々は「トマト」のカレーのためなら長い時間待つことを厭わない。近所の常連さんも、全国から訪れるカレー(そしてシチュー)愛好家たちも、誰もが期待に胸を膨らませ、店内に迎え入れられるその時を待ちわびている。

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看板のかわいらしいトマトの絵が笑顔でゲストを出迎える。この店のロゴは、創業時、店のご主人が自ら描いた絵だ

いよいよ待ちに待った入店の時をむかえる。おかみさんが、あたたかい笑顔で店内へ通してくれる。お店の外観は「町の洋食屋さん」といったフレンドリーな雰囲気なのだが、店内に入った瞬間に漂う本格的なスパイスの香りたるや、およそ外観から想像できるものではない。扉を開けたすぐ先のカウンターにはスパイスの入った瓶がずらりと並べられ、そのひとつひとつにその風味や効能について丁寧に説明が書かれてある。

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34種類のホールスパイスを含む36種類のスパイス。メニューによって配合は様々だが、これらの全てがカレーに溶け込んでいる

こぢんまりとした店内では、落ち着いた照明と、昔その場所にあったレストランから受け継いだという年代物の家具が情緒を感じさせている。特に100年以上の歴史を持ち、曲木家具をつくり続けている「秋田木工」の椅子は、何度も塗り替えやメンテナンスを繰り返しながら大切に使われてきた。「古いものなのですが、最高の座り心地なのです」とおかみさんは微笑みながら言う。椅子ひとつにも愛情をもって大切にするという姿勢からは、「トマト」がどれほど提供する料理やゲストを大切にしているのかを感じ取ることができる。

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落ち着いた雰囲気の店内。厨房から漂う香りが食欲をかきたてる

店内はカウンターとテーブルを合わせて15席ほど。一人客でも家族連れでも、順番に空いた席から案内されるため、一人で4人掛けテーブルに通されることもめずらしくない。相席はなし。これは、「ゆっくりと心地よく過ごしてほしい」という配慮なのだ。訪れた際はぜひ気兼ねなく通された席で大切な時間を過ごしてもらいたい。席についてオーダーしてからも、決して焦ってはいけない。メニューに合わせてひとつひとつ丁寧に具材とルーを仕上げていくため、時間がかかるのは必至なのだ。

かけた時間と愛情の分だけ深まる味。食材の選定から仕上げまで、一切の妥協もそこには存在しない

カレーのメニューはビーフからシーフードまで様々な種類が並ぶが、ベースとなるソースは共通のものを使用している。丁寧に炒った玉ねぎにたっぷりの香味野菜、国産牛からとったフォンドヴォーにグラスドビアンという贅沢な食材の旨味が詰まったベースを作り、そこに上述の36種類のスパイスを加えてじっくり一週間煮込むのだ。ちなみにこのベースのソースは、創業以来継ぎ足しで作られているため、35年かけて作られた、他では真似できない秘伝のソースと言える。そして、そのソースを基に、さらにスパイスなどを足しながら具材に合わせたルーに仕上げていく。

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仕込みのために30kgから40kgもある和牛の半身を仕入れるという。丹念な仕込みによって脂身の旨みと甘みだけが残り、カレーに油っぽさは残らない。この濃厚なルーにバターが一切使われていないというのも驚きだ

カレーが好きな人にこそぜひ食べてもらいたいのは、「和牛ビーフジャワカレー(辛口)」2,300円(税込み、以下同)。「トマト」の真髄がもっとも色濃く感じられるメニューだ。濃厚なルーの中に、りんごを食べて育った信州牛のバラ肉がゴロゴロと入っている。贅沢に、大きめの肉とルーをひとくち頬張る。

深い。とろけるような肉の味わいに、野菜や肉の旨味が凝縮されたルーがからまってたまらない。飲み込んだ後の余韻も最高だ。ジャワカレーは辛口だが、ピリピリとした嫌な刺激は一切感じられない。そこにあるのは多様なスパイスがもたらす表情豊かな味わいだ。

旨味の中に甘みがあり、苦みもある。それは嫌な苦みではなく、味のアクセントとしてそこに存在している。そして食べ進めるうちにじんわりと汗が出てくる。これまでの”辛い”という概念を覆されそうな、おいしい辛さがそこにある。そして、コリアンダーやカルダモンの効果なのだろうか、不思議なことに後味には清涼感や爽快感さえ感じられる。

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ごはんにはチーズとラム酒につけこんだ「サルタナレーズン」がトッピングされている。カレーを食べ進める中、レーズンからジュワッとあふれだす甘みが味覚に変化をもたらしておもしろい。レーズンが苦手な人もぜひ試してもらいたい

そんな重厚なルーを合わせるのは、やはり白いごはんだ。「トマト」で使用されるのは、国内の様々な産地のコシヒカリ。吟味された良質なコシヒカリを、さらにお店のカレーに合うようにご主人自らブレンドしている。そのお米をなんと、1升炊きの炊飯器で5合ずつ炊いているという。これだけの繁盛店となると、回転率を上げるためお米は一気に炊いておきたい気もするが、そこは店主の思いやり。ふっくらとした炊き立てのごはんを食べてもらいたいという想いで、いかなる手間をも惜しまない。

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付け合せにも余念がない。味覚をリフレッシュさせる福神漬けと玉ねぎのピクルス。ピクルスには、今の時季は淡路島の新たまねぎを使用している。これだけでも食べ続けたいほどフレッシュでおいしい

人気メニューの「ビーフタンカレー(中辛)」 3,000円は、関東から北海道の国産牛のタンを使用し、贅沢にもタン先とタン元がそれぞれ1枚ずつ入っている。7時間かけて丹念に煮込まれたタンは、まさに“トロトロ”で、舌の上で芳醇にとろけていく。そしてそのタンを包み込む、重層的な味わいのルーが一段とタンの存在を引き立てる。これはぜひ思い切って大きく頬張って、全ての味蕾で味わってほしい。

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大きなビーフタンが2枚入ったビーフタンカレー。人気のため売り切れることも多い。食材にもこだわり、丹念に仕込みを行うため仕込める量には限界があるのだ

ルーツはレストランの料理長が作るまかないカレー。試行錯誤を重ねてたどり着いたオリジナルの味

調理師学校を卒業し、神戸や大阪の洋食店で修行した後、「資生堂パーラー」の料理人として商品開発まで担っていた店主が、なぜこれほどまでカレーに情熱と愛情を注ぐようになったのだろう。

「大阪のレストランで、月に1回、料理長が従業員のためにカレーを作ってくれたんです。玉ねぎを飴色になるまで丁寧に炒めて。そのカレーがおいしくておいしくて。なんとかその味に近づこうと、何度も何度も自分で作ってみました」穏やかな口調でご主人はこう語る。

料理人として、いつか自分の店を開きたいと夢を抱いていた若き日のご主人は、そのカレーの味が忘れられず、料理長のレシピを再現しようと試行錯誤していた。そうするうちに、オリジナルの要素やスパイス、そして想いが加わり、今のカレーにたどり着いたのだ。以来35年間、時代や季節の流れに合わせて少しずつ進化しながら「トマト」の味を守り続けている。

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親子3代で通える地域に根ざした店

「トマト」のカレーはスパイスが効いた本格的なカレーだ。だが、こども連れの客も多く訪れる。さらには、そのこどもが大きくなって、また自分のこどもを連れて訪れる。それはきっと、「トマト」が厳選された食材を使って、食べる人の健康を考えた料理を提供しているから。「誰かに食べさせたい」と思わせるような、真心がこもったあたたかい料理なのだ。地域に根ざし、地域に守られてきた店が、今は名店として全国のカレーファンを惹き付けている。きっと誰しもがここにまた戻ってきたいと思うだろう。その鮮烈な味わいと深い思いやりに触れるために。

取材・文/山根由実、撮影/岡久加苗(ぐるなび)

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